漆工芸の世界では、夫婦で工房を構えることが少なくない。
旦那さんが木工の工芸士で漆器の木地を作り、奥さんが漆を塗って加飾を施す漆の工芸士。またその反対とか。
琉球漆紀行は、夫婦ともが漆工だ。ということは、
向かい合って一緒に作業することが多い。
豊見城の自宅の一角にある工房では、夫婦向き合って、
静かな時の流れを過ごしている。黙々と、時にはおしゃべりしながら。
前田春城さんは子どもの頃、夢が3つあった。
本島北部の大宜味村出身の彼は、やんばるの大自然に親しんで育った。
だから、動植物を研究する仕事がしたかた。もう一つの夢は、ものづくりの仕事に就きたかった。それは家庭環境からだ。紅房という今はなき沖縄の有名な漆の工房に職人として勤めていた父の後ろ姿を見ていた。3つめはサッカー選手だ。学生の頃は部活に熱中していた。でもその夢は多くのサッカー少年が通る道で、儚く消えた。動植物の研究に関しては、琉球大学の農学部を卒業した。しかし、研究職に就くことは叶わなかった。で、最後に残った夢が、ものづくりだった。学校を訪れて、子どもたちに漆の出前授業を行う時、最初は必ず、漆のこと、自分の職業観について話す時間を取る。その際、春城さんはこの夢の話を必ずする。自分の夢は、色々なカタチで叶えることができるんだよ、と。動植物への興味は、漆の文様で表現することで自分だけの作品を作ることができるという。なるほど、彼が沈金で描いたケナガネズミは、精緻な観察に基づくものだ。スポーツに対する欲求は、マラソンを走ることで満たしている。それもハードな練習で、様々な地域大会で上位の成績を残している。「夢はひとつじゃなくていいんだよ」この言葉は、魔法のように子どもたちの心に吸い込まれていく。
前田貴子さんは子どもの頃から絵を描くのが好きだった。漫画家になりたくて、東京のデザイン学校に通う。でも、色々といろいろあって帰ってきた。そこで目に飛び込んだ琉球漆器の職人見習い募集の広告。深く考えず、沖縄の文化に関することが仕事になるなら、と軽い気持ちで飛び込んだ漆の世界。人間の勘、というのは、一見いい加減なように見えて、実は、脳内ではあらゆる経験値を論理的に組み上げて構築されて出てくる結果だと、学者が言っていた。貴子さんは、まさしくこの勘が働いて漆の世界に入ったのだろう。琉球漆器を退職した後、沖展に何度も入賞し、今では県が認める伝統工芸士として、沖展の審査員を務めるまでになった。この2人から生まれてくるおきなわ漆は、どんなものだろう。沖縄の木にこだわり、日本産の漆を使い、沖縄にいることを誇りに思いながら作り出す漆器たち。琉球の先人たちが何百年も受け継いできたタスキを、次の世代に渡す責任が僕たちにはある、そう言うと春城さんは穏やかに笑った。
琉球漆紀行の商品
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